(1997年3月)
マイクロソフトのビル・ゲイツ氏が推し進める葛飾北斎などの浮世絵の「電子画像図書館」とデジタル化権に関連する記事です。
写真のデジタル化権次々買い占め
日本上陸で「著作権どうなる?」
「日本はゲイツ氏に席巻されるのではないか」。文化庁の吉田茂長官は最近、知人たちにこうもらすようになった。ソフトウエア業界を制覇した米マイクロソフト社のビル・ゲイツ会長(41)。遠大な「電子画像図書館」を目指し、その富で世界中の写真や歴史的資料を買い集めている彼の個人企業が、いつの間にか日本にも上陸していたのだ。
坂本万七寫眞(しゃしん)研究所
米国企業コンティニュアム・プロダクションズ
「坂本万七寫眞(しゃしん)研究所」は、東京・世田谷の住宅街にある古美術専門の写真工房だ。1993年暮れ、そこへ「コンティニュアム・プロダクションズ」という米国企業の名刺を持つ女性が、通訳を連れてやってきた。
日本美術の写真
「日本美術の写真を集めにきた。米国の古美術商の紹介だが、作品を提供してもらえないか」というのである。30点ほどの見本を渡すと、1994年再びやって来て、ぜひ契約を、と言う。
全国の古美術品や建築物
研究所の看板は出してはいるが、職員は社長と60代のベテランカメラマン・坂本守さんの2人。全国の古美術品や建築物を撮り、出版社などに貸し出してきたものの、米企業と取引をするような規模でもない。
葛飾北斎の浮世絵「富嶽三十六景神奈川沖浪裏」
仏像、建築物の写真
首をひねりながら、坂本さんは、北斎の「富嶽三十六景神奈川沖浪裏」や「源氏物語絵巻 夕霧」「広隆寺の弥勒菩薩像」「薬師寺東塔」など、浮世絵や仏像、建築物の写真、計500点をコンティニュアム・プロダクションズに預けた。もうけは期待していなかった。「使用した場合は、売り上げの3.5%を払う」という契約だったが、英文の契約条項はいまだによくわからない。
コービス社
富嶽三十六景
1996年末、坂本さんを驚かせるようなことが起きた。文化庁が、あの取引について問い合わせてきたのだ。コンティニュアム社は「コービス社」(ワシントン州)へと社名変更され、「預けていた」富嶽三十六景の写真がコービス社のインターネットのホームページに登場していたのである。
経営者はビル・ゲイツ
写真コレクション「ベットマン・アーカイブ」
コービス社の経営者は、最大のコンピューターソフト会社を率いるゲイツ氏。世界一の個人資産に物を言わせ、1600万点の写真コレクション「ベットマン・アーカイブ」を買収したり、名画や写真の「デジタル化権」を次々に獲得したと発表したりして注目を集めていた。
名画や写真の「デジタル化権」
ウィンドウズ95
怪物ソフト「ウィンドウズ95」を売りまくった巨人が、何をやろうとしているのか。著書「ビル・ゲイツ未来を語る」や記者会見で、彼は夢を語っている。
「ビル・ゲイツ未来を語る」
デジタルストック・エージェンシー
《コービスは、あらゆる種類の画像のデジタルストック・エージェンシー(代理店)だ。高品質スキャナーを使って、(写真などの)画像をデジタルデータに変換し、高解像度でデータベースに保管しておき、顧客が欲しい画像をすぐ取り出せるような特殊なインデックスを付けておく》
1965年のビートルズ
《あなたがその家の客だとする。(インターネットを開く)と、大統領の肖像画からルネサンス期の絵画、日没や飛行機の写真……1965年のビートルズなど、ほとんどどんなデジタル画像でも家中にある画面で見ることができる》
「アスキー」の西和彦社長
インターネット上の図書館
著書の訳者で、ゲイツ会長の友人でもあるマルチメディア会社「アスキー」の西和彦社長(41)は「米国、次に欧州、そしてアジアと、時代を象徴する世界の写真を買いまくって、インターネットで図書館のように提供しようというわけです。どんな画像もそろっていたら、すべての人がそこにアクセスするようになる。そのうち必ずビジネスになりますよ」と言う。
ソニー広報センター
一人勝ちになる可能性も
「ばく大な資金と人手がかかるため、どの企業も戦略的に手掛けられない。賭(か)けだが、一人勝ちになる可能性もある」(ソニー広報センター)という声もある。
ルーブル美術館やエルミタージュ美術館
アンセル・アダムス氏
文化庁によると、コービス社はその時に備えて、既にルーブル美術館やエルミタージュ美術館、ロンドンのナショナルギャラリー、フィラデルフィア美術館などとの契約を済ませた。さらに、米国の風景写真の大家、故アンセル・アダムス氏の作品についても、今後20年間、CD-ROMなどを通じて電子情報化する独占権を獲得したという。
電子画像図書館の収蔵品
「パソコンもいじったことがない」という坂本さんの写真も、電子画像図書館の収蔵品になっていたのだ。
デジタル化権
文化庁の不安
さて、文化庁の不安は、「デジタル化権」という代物が、譲渡の対象になっている現状にある。
著作権者がゲイツ氏に支配
写真のデジタル化権
インターネット時代になると、写真情報はすべてデジタルでやりとりするようになる。美術館や文化財の所有者らが、安易に写真のデジタル化権を譲り渡すと、写真家が著作権を持っていても、時代の先端であるコンピューターネットワークの上では、発表する手段を失ってしまう。デジタル化権は写真などをデジタル化させる、著作権に付随した権利に過ぎないのに、著作権者がゲイツ氏に支配されかねないというのだ。
文化庁の吉田長官
日本文化を伝える写真
吉田長官が「日本文化を伝える貴重な写真が日本側で使えないという時代になっては大変だ。杞憂(きゆう)であればいいが」というのもそんな理由からだ。
日本ビジュアル著作権協会(村井資長会長)
デジタル化権の売買話
約260の写真家や写真エージェンシーで組織する「日本ビジュアル著作権協会」(村井資長会長)も「デジタル化権の売買話にはさまざまな落とし穴が待ち構えている。一度デジタル化された写真情報は、インターネットなどを通じて加工されたり、別の媒体に2次、3次使用される危険性がある」と警告する。
マルチメディア時代
ただ、協会もゲイツ氏が迫っていることに気づいたばかり。「マルチメディア時代が急速な勢いで到来し、利用者側の要求のスピードに、我々が追い付いていけない」と認めている。
コービス上陸
金閣寺も打診?
「コービス上陸」の情報は、コービス社のホームページが開設された後の1996年後半ごろから伝わり、「金閣寺も打診を受けた」といった根も葉もないうわさまで流れている。文化庁が作成したメモにも「コービスの日本支社が、京都や金沢を中心に所有者と交渉しているとの情報もあるが、詳細は不明」と記されていた。
情報ハイウエーを疾走するゲイツ氏。“上陸”から3年以上たった今も、その姿はとらえられない。